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星界の道~航海中!~

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大聖人お誕生法要

【大聖人お誕生法要】
 宗祖誕生会(たんじょうえ)は、御本仏日蓮大聖人の末法ご出現をお祝い申し上げ、ご報恩のためにご誕生日の二月十六日に奉修される行事です。
 末法という時代に、日蓮大聖人がご出現になり、衆生を救済されるということを印度の釈尊が予言されています。釈尊滅後一千年を正法時代、次の一千年を像法(ぞうほう)時代、その後を末法時代といいます。そして、正像二千年間は釈尊の教えで利益もありますが、末法の時代に入ると、仏法が隠没し、闘諍(たたかい)や言訟(あらそい)が盛んになり、人心が荒廃して濁悪の時代となって釈尊の仏法では救われなくなるのです。

 このような時代にたいして法華経には、涌出品にあらわれた上行等の四菩薩がふたたび出現して衆生を救済されることが予証されてあり、神力品に「日月の光明の能(よ)く諸の幽冥(ゆうみょう)を除くが如く斯(こ)の人世間に行じて能く衆生の闇を滅せん」と、その赫(かく)々たる人格活動を説かれています。

 わが国では平安末期から鎌倉時代へ移るころになると、次第に悪世末法の相をあらわしはじめました。近親相い争う保元(ほyげん)・平治(へいじ)の乱、さらに承久(しょうきゅう)三年には日本未曾有(みぞう)の大事件、前代未聞の下剋上(げこくじょう)である承久の変が起こり、甚だしく人倫の乱れた世相となってきました。また打ち続く天災地変等によって穀物も稔(みの)らず多勢の餓死者を出し、疫病が流行し、盗人が横行し、目を蔽(おお)うような悲惨な世となったのです。これを仏教上から見ると、釈尊の予言のように世は正像二千年を過ぎて「闘諍言訟(とうじょうごんしょう)、白法隠没(びゃくほうおんもつ)」の末法時代に入り、釈尊の仏法がまさに隠没(おんもつ)しようとする姿を示したものといえます。

 この時に当って後五百歳広宣流布の金言通り、日蓮大聖人が末法万年尽未来際までの一切衆生を救済する御本仏として日本にご誕生になったのです。すなわち保元の乱が起こって六十六年後、承久の変の翌年、末法に入って一七一年、後堀河天皇の貞応(じょうおう)元年(一二二二年)二月十六日に貫名(ぬきな)次郎重患を父とし、海菊女を母として安房の国(千葉県)長狭郡東条小湊でご誕生あそばされ幼名を善日麿と称されました。

 大聖人はご自身の出生を御書の中に「海人(あま)が子なり」(新編一二七九頁)「旃陀羅(せんだら)が子なり」(新編四八二頁)「民の家より出でて頭(こうべ)をそり袈裟をきたり」(新編一二五八頁)と仰せられているように、漁師の子としてご誕生なさいました。
 これはご自身示同凡夫(じどうぼんぷ)のお姿として出生され、みずから民衆の中に入って、末法濁悪の下劣の機根である一切の大衆を救済されるためにほかなりません。

 安房の国東条郷には天照太神の御厨(みくりや)があり、日本第一の地であるといわれていました。
その地に誕生されたことも偶然ではありません。聖人御難事に「安房国長狭郡(ながさのこおり)の内、東条の郷、今は郡なり。天照太神の御(み)くりや、右大将家の立て始め給ひし日本第二のみくりや、今は日本第一なり」(新編一三九六頁)と申されています。ご誕生の地といい、また釈尊の入滅が二月十五日であるのにたいし、大聖人が二月十六日に誕生されていることなどは、釈尊の仏法が没して、この国に御本仏が出現されるという不思議な因縁を示すものといえましょう。

 大聖大のご出生については種々の不思議な瑞相(ずいそう)が伝えられています。日興上人はこれを承って「産湯(うぶゆ)相承事」として記し置かれています。ある夜、母君が比叡山に腰をかけ、近江の琵琶湖の水で手を洗い、そして富士山から昇った日輪を胸に懐いた夢をみました。不思議に思って父に話したところ、父もまた不思議な夢を見たというのです。それは、虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)がかわいらしい児(こ)を肩にのせてあらわれた。そしてその虚空蔵菩薩のいうことには、この児は上行菩薩であり、行く末は一切衆生を救う大導師となる方である。
この児をあなたに授けよう、といって消えてしまった。実に不思議なことであると語り合ったのです。このあとで母は懐妊を覚えました。

 またご誕生の日にも次のような夢を見ました。一本の清(しょう)蓮華の花が開いて、そこから泉が涌き出ました。その清水をもって産湯をつかわれた。余った清水を四方へ注ぐとあたり一面は金色に輝き、まわりの草や本には一斉に花が咲き実がなりました。まことに末法の御本仏のご出現にふさわしい不思議な、そして荘厳な霊夢であったと拝されます。
 現在総本山では、毎年二月十六日の大聖人ご誕生会には、五重の塔のお塔開きが行われ、末寺においてもそれぞれ法要を修し、大聖人のご誕生をお祝い申し上げています。

 法華経宝塔品において、突然、多宝塔が涌現し、多宝仏が釈尊の説く法華経は皆な是れ真実なりと証明したのは、きわまるところ寿量文底の南無妙法蓮華経すなわち久遠元初名字の妙法蓮華経の真実を証明しているのであり、したがって多宝塔は大曼荼羅(まんだら)の姿でもあります。また阿仏房御書に「阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房」(新編七九三頁)と仰せになっているように、私達の当体が本来、宝塔であり、お題目を唱える時、私達の当体は宇宙の全体生命である妙法とあらわれることになるのです。五重の塔は一切の万物が生れ出る本源を意味し、とくに塔の中に大御本尊を安置してありますので、木仏大聖人のご当体をもって、その中心の大霊格と拝するのです。

 二月十六日は一往大聖人が安房の国に貫名(きぬな)重患を父とし、梅菊を母として狐々(ここ)の声をあげられた日と考えますが、再往は久遠元初の御本仏出現の日であり、御本尊すなわち宝塔涌現の日であります。
 この意義のもとに総本山では法主(ほっす)上人が大衆を従え御影堂(みえいどう)においてご報恩の読経の後、五重の塔の<お塔開き>を行われ読経唱題してお誕生会を奉修しています。このお塔開きは大聖人の末法ご出現をあらわすのであり、また五重の塔が西の方を向いているのは、大聖人の仏法が中国・印度を経(へ)て世界に広宣流布するようすを、太陽が束から昇って西を照らし、全世界に光明をおよぼすのになぞらえているのです。


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